「私の居場所はここじゃない」と思って生きてきた
時津 ただ、東京のキャバ嬢時代の私は周囲に流されるところがありました。
キャバクラ嬢1年目のとき、池袋、六本木、新宿、歌舞伎町、新橋s、渋谷、上野のキャバクラ店20名くらいで問題を起こしたことがあります。キャバクラ嬢全員が経営者に呼び出されましたが、「なんでこんなことで呼ばれないといけないの?」とキャバクラ嬢全員が怒っていました。
しかし、そのなかで私は、「今回の件に関しては、私どもが全責任を負うべきだと思う。他のキャバクラ嬢のやったことに対する補償はすべて私がやりたいと思う。本当にご迷惑をお掛けしました」と最初に謝りました。
「私、こんなことしていたら変な人生になる」と思い、その翌日から、そのキャバクラ嬢グループと少し距離を置きました。そのために私は孤立しました。しかし、「このままではダメになる」という思いがあったので、最後までそのグループには戻りませんでした。「環境を変える」ということをキャバクラ嬢1年目のときに学びました
藤岡 その事件がたまたま引き金になっただけで、もともとそのように思う要因があったのではないでしょうか?
時津 実はもともとありました。小学生のときに仲のいい女の子がいて、その子も同じ中学校に行くものだと思っていたら、私立の中学校に行きました。そこに行くことはかなり珍しいことでした。それが羨ましく、親にお願いをして塾に入ったのですが、その日が中学受験の最終日だったのです(笑)。
田舎者過ぎて世の流れをまったく理解していませんでした。その友達と同じような環境で育ったにも関わらず、彼女は私立中学校に行き、私は公立中学校に行ったという事実がすごく嫌でした。そのこともあり、「今の環境は自分の居場所ではない」と思っていたところがありました。
小さいときから目標設定を常にして、そこに追いつく、もしくはそこをライバル視していました。小学校のときはその友達をモデルケースとして立てていたわけです。モデルケースと自分とギャップを埋めることは幼少のころからやっていました。